雪の迎春2
2012.01.09 *Mon
二日目。パンを食べまくって宿を出る。午前中は鬼怒川をぶらり散歩。
大きな吊り橋があるというので向かう。渡ると思ったより揺れて、あんまりまっすぐ歩けない。

野本さんは吊り橋が苦手らしく、橋のワイヤーが細すぎるだの死ぬだの言いながら、さーっと先に行ってしまっていた。
橋を渡り、白い岩で出来たむにゅむにゅな線だらけのトンネルをくぐって高見台に辿りつき、鬼怒川を一望。旅館の立ち並ぶ鬼怒川の合間にある民家や、有料道路を走る車、遠くの電車を眺めて、生活の数々に思いを馳せつつ遠い感情の中をひとしきり泳ぐ。気が済むとまた歩いて、小滝見物やつらら見物へ。


鬼怒川散歩を終え、そこからバスで一時間半、いよいよ更に奥に分け入ることに。
途中でトイレ休憩なんかもあるほどバスは山に入って、もうどこを見ても雪で雪ですべて銀白。
バスのほぼ終点が今日泊まる旅館だが、瀬戸合峡に行くべく途中下車。
瀬戸合峡というのは渓谷にかかる吊り橋らしく、大きなダムや川俣湖なんかもあるというから、というのでわたしがちょっと覗いてみたかった。
ということでお供を引き連れバスを降りるも、観光客で一杯だったバスからは誰も降りない。
そんなもんかなーと思いつつ、本当に何もない極寒の雪山を歩いて瀬戸合峡の方へ。
すると怪しみの心は的中して、そこには「冬期閉鎖中」の看板がぶら下がっていた。
写真は、本来きっと歩いて回れたはずの瀬戸合峡一望。ダムがでかい。

絶望的な事に、次のバスは約三時間後。バスを降りた場所の周りには建物も人も何一つない。車通りも少ないから、誰にも見つけて貰えないただの山奥。宿までは歩いて一時間半、雪道だからもっとかかる。
しかしここは腹を括って雪山を歩くことを決断。いざ出発。
の前に巨大な丸太の塊を見つけて、遊ぶ。

比較して人間がとても小さい。

そして遂に出発です。道は途中でコンクリートになったけど、まぁこんな感じ。

誰もいない山奥の道を、雪と鋭い寒さと闘いながらもくもく進む。自分たちしかいない不安と、純度の高い淋しさ。途中で斜めになりかけた村と、観光客を歓迎する為か村人以外を寄せ付けない為かもはや分からない村の石門に遭遇。その先ではいくつか民家も見え、一度だけ道の端に、源泉が湧いてあふれている湯の水道を見つけることができた。このときほどお湯の嬉しさと湯気の安心感が身に沁みたことはなかった。湯はとても熱かったけれど、すがるような思いで冷たい手を差し伸べました。
一本道をさらに歩くと、大きな鬼怒川に掛る巨大な吊り橋に遭遇。観光用ではないし、ここを渡らないと進めないので野本さんが少し可哀想だったが、ワイヤーが太かったので大丈夫だったらしい。あまりに寒くてカメラを手にするのも億劫だったため写真はないけれど、わたしは橋を渡った後に振り向いて見た風景がちょっと忘れられない。水が澄んでいて深い青をした大川の向こうに、雪の山々が視界の右から左まで堂々と連なって、空は灰色と白の間に浮かんでいて。それだけの轟々とした風景があるのに、音がなんにもない。耳の底から世界を見た気持ち。
と景色を眺めていると、本当に幸運というか申し訳ない事に、偶然車で通りがかった山奥にお住まいの方が私たちを見つけて呼びとめてくれ、親切にも宿まで車に乗せてくださった。ご厚意に甘え、雪道を一気にショートカット。窓の外を見ると、道に積もる雪がだんだん深くなっていたので、これは歩けなかったな、と思う。
車に乗っていた男の子と少しおしゃべりをし、宿の前で車を降りる。ありがとうございました。
予定より三時間ほど早く宿に着いてしまったけれど、宿主は快く迎えてくださり、その日はコタツに入ってお茶を飲んだり温泉に入ったり、ゆっくり過ごした。療養という気分で、宿から一歩も外に出られない雪に閉じ込められた気持ちを味わえて、これはこれでわくわくする。女風呂は他に誰も居なくて普通ならきっと嬉しいのだけれど、夜の暗さが浴場を包んでいて結構怖い。シャンプー流したりして目をつぶってる間にお化け出たらどうしようと、深刻にそんな気持ちになって、たくさん唄いながらお風呂に入った。隣の男風呂とは天井付近に壁が無くて続いていたから、きっと聞こえたんだろうな。
三日目は宿の露天風呂に入る。素晴らしい雪見露天ができた。
そのあとは一時間半バスに揺られて、三時間電車に揺られてまっすぐ帰りました。バス停付近の家の飼い犬が、寒い雪中で観光客と遊んでいてとても元気だった。帰りたくないくらい良き旅でした。
大きな吊り橋があるというので向かう。渡ると思ったより揺れて、あんまりまっすぐ歩けない。

野本さんは吊り橋が苦手らしく、橋のワイヤーが細すぎるだの死ぬだの言いながら、さーっと先に行ってしまっていた。
橋を渡り、白い岩で出来たむにゅむにゅな線だらけのトンネルをくぐって高見台に辿りつき、鬼怒川を一望。旅館の立ち並ぶ鬼怒川の合間にある民家や、有料道路を走る車、遠くの電車を眺めて、生活の数々に思いを馳せつつ遠い感情の中をひとしきり泳ぐ。気が済むとまた歩いて、小滝見物やつらら見物へ。


鬼怒川散歩を終え、そこからバスで一時間半、いよいよ更に奥に分け入ることに。
途中でトイレ休憩なんかもあるほどバスは山に入って、もうどこを見ても雪で雪ですべて銀白。
バスのほぼ終点が今日泊まる旅館だが、瀬戸合峡に行くべく途中下車。
瀬戸合峡というのは渓谷にかかる吊り橋らしく、大きなダムや川俣湖なんかもあるというから、というのでわたしがちょっと覗いてみたかった。
ということでお供を引き連れバスを降りるも、観光客で一杯だったバスからは誰も降りない。
そんなもんかなーと思いつつ、本当に何もない極寒の雪山を歩いて瀬戸合峡の方へ。
すると怪しみの心は的中して、そこには「冬期閉鎖中」の看板がぶら下がっていた。
写真は、本来きっと歩いて回れたはずの瀬戸合峡一望。ダムがでかい。

絶望的な事に、次のバスは約三時間後。バスを降りた場所の周りには建物も人も何一つない。車通りも少ないから、誰にも見つけて貰えないただの山奥。宿までは歩いて一時間半、雪道だからもっとかかる。
しかしここは腹を括って雪山を歩くことを決断。いざ出発。
の前に巨大な丸太の塊を見つけて、遊ぶ。

比較して人間がとても小さい。

そして遂に出発です。道は途中でコンクリートになったけど、まぁこんな感じ。

誰もいない山奥の道を、雪と鋭い寒さと闘いながらもくもく進む。自分たちしかいない不安と、純度の高い淋しさ。途中で斜めになりかけた村と、観光客を歓迎する為か村人以外を寄せ付けない為かもはや分からない村の石門に遭遇。その先ではいくつか民家も見え、一度だけ道の端に、源泉が湧いてあふれている湯の水道を見つけることができた。このときほどお湯の嬉しさと湯気の安心感が身に沁みたことはなかった。湯はとても熱かったけれど、すがるような思いで冷たい手を差し伸べました。
一本道をさらに歩くと、大きな鬼怒川に掛る巨大な吊り橋に遭遇。観光用ではないし、ここを渡らないと進めないので野本さんが少し可哀想だったが、ワイヤーが太かったので大丈夫だったらしい。あまりに寒くてカメラを手にするのも億劫だったため写真はないけれど、わたしは橋を渡った後に振り向いて見た風景がちょっと忘れられない。水が澄んでいて深い青をした大川の向こうに、雪の山々が視界の右から左まで堂々と連なって、空は灰色と白の間に浮かんでいて。それだけの轟々とした風景があるのに、音がなんにもない。耳の底から世界を見た気持ち。
と景色を眺めていると、本当に幸運というか申し訳ない事に、偶然車で通りがかった山奥にお住まいの方が私たちを見つけて呼びとめてくれ、親切にも宿まで車に乗せてくださった。ご厚意に甘え、雪道を一気にショートカット。窓の外を見ると、道に積もる雪がだんだん深くなっていたので、これは歩けなかったな、と思う。
車に乗っていた男の子と少しおしゃべりをし、宿の前で車を降りる。ありがとうございました。
予定より三時間ほど早く宿に着いてしまったけれど、宿主は快く迎えてくださり、その日はコタツに入ってお茶を飲んだり温泉に入ったり、ゆっくり過ごした。療養という気分で、宿から一歩も外に出られない雪に閉じ込められた気持ちを味わえて、これはこれでわくわくする。女風呂は他に誰も居なくて普通ならきっと嬉しいのだけれど、夜の暗さが浴場を包んでいて結構怖い。シャンプー流したりして目をつぶってる間にお化け出たらどうしようと、深刻にそんな気持ちになって、たくさん唄いながらお風呂に入った。隣の男風呂とは天井付近に壁が無くて続いていたから、きっと聞こえたんだろうな。
三日目は宿の露天風呂に入る。素晴らしい雪見露天ができた。
そのあとは一時間半バスに揺られて、三時間電車に揺られてまっすぐ帰りました。バス停付近の家の飼い犬が、寒い雪中で観光客と遊んでいてとても元気だった。帰りたくないくらい良き旅でした。
雪の迎春
2012.01.09 *Mon
出来ないことが増えた一年だったなと去年を思うので、旅行、何とか行けたから、日記に書いておこう。
片道三時間1800円で行けると知って決めた旅先、日光を目指して家を出るは一月二日の朝六時。
真っ暗の空の下、自分が朝にいるのか夜にいるのか、安定しないシャボン玉の中を歩くような気分。
今回の旅のお供野本さんと合流、電車に揺られると眠かったけど、誰も乗ってない朝焼けの匂いが立ち込める電車にわたしの心はわくわく蛇踊り。曇天模様の中みるみる変わる風景はどれもさびれて見えて、きっとそのおかげで実際の距離よりもっともっと遠くに行く気がした。
日光に着いて、まずは東照宮。大地めりめりに突き破りましたと言わんばかりの大木の杉たちを眺めてから、隅々まで歩いて見回り、中国というか海の向こうっぽさを味わう。ツェッペリンみたいな子供が居たり、ヤンキーが多かったり、鳴龍の清らかな鈴の囁きを聞いて頭からつま先まで透明の水色になりそうな気分を味わったり。

写真はカメラの設定を間違って、人々が天国に向かうみたいな写真ができた様子。
その後は湯葉そばを食って、湯葉の美味しさにうち震える。湯葉嫌いだったのに、あっと言う間に好きになってしまった。湯葉が美味い。
バスで小一時間揺られて、いろは坂をぐるぐる上ると、一面雪の街が待ち受けていた。考え難いほどの冷たい強風に全身突き刺されつつ、向かうはもっと寒い華厳の滝。

鋭く巨大なつららの滝は、生半可な旅行気分で訪れた客を叱咤するような厳しさ。何とも言えないのだけれど、絶対死にたくないなーという危うさに満ちた感情で胸がいっぱいでとても苦しい。滝の激流の下で薄暗く存在する滝壷のおどろおどろしさを初めて感じた。
滝を離れて、ズバズバに吹きすさぶ冷風の中をしばらく放浪。太陽の光を激しく乱反射させる中禅寺湖の岸で一休み。寒すぎるので歌を唄ってごまかし、茶処でバスを待って、再びバスに乗りいろは坂を下って日光駅へ。
一日目の宿のある鬼怒川へ移動し、とことこ歩いて夕刻にお宿到着。
明日は色々写真付きでお送りします。
片道三時間1800円で行けると知って決めた旅先、日光を目指して家を出るは一月二日の朝六時。
真っ暗の空の下、自分が朝にいるのか夜にいるのか、安定しないシャボン玉の中を歩くような気分。
今回の旅のお供野本さんと合流、電車に揺られると眠かったけど、誰も乗ってない朝焼けの匂いが立ち込める電車にわたしの心はわくわく蛇踊り。曇天模様の中みるみる変わる風景はどれもさびれて見えて、きっとそのおかげで実際の距離よりもっともっと遠くに行く気がした。
日光に着いて、まずは東照宮。大地めりめりに突き破りましたと言わんばかりの大木の杉たちを眺めてから、隅々まで歩いて見回り、中国というか海の向こうっぽさを味わう。ツェッペリンみたいな子供が居たり、ヤンキーが多かったり、鳴龍の清らかな鈴の囁きを聞いて頭からつま先まで透明の水色になりそうな気分を味わったり。

写真はカメラの設定を間違って、人々が天国に向かうみたいな写真ができた様子。
その後は湯葉そばを食って、湯葉の美味しさにうち震える。湯葉嫌いだったのに、あっと言う間に好きになってしまった。湯葉が美味い。
バスで小一時間揺られて、いろは坂をぐるぐる上ると、一面雪の街が待ち受けていた。考え難いほどの冷たい強風に全身突き刺されつつ、向かうはもっと寒い華厳の滝。

鋭く巨大なつららの滝は、生半可な旅行気分で訪れた客を叱咤するような厳しさ。何とも言えないのだけれど、絶対死にたくないなーという危うさに満ちた感情で胸がいっぱいでとても苦しい。滝の激流の下で薄暗く存在する滝壷のおどろおどろしさを初めて感じた。
滝を離れて、ズバズバに吹きすさぶ冷風の中をしばらく放浪。太陽の光を激しく乱反射させる中禅寺湖の岸で一休み。寒すぎるので歌を唄ってごまかし、茶処でバスを待って、再びバスに乗りいろは坂を下って日光駅へ。
一日目の宿のある鬼怒川へ移動し、とことこ歩いて夕刻にお宿到着。
明日は色々写真付きでお送りします。
木靴の寝言
2012.01.01 *Sun
線さえ上手く繋げばラクに音楽をスピーカーで流せる事にふと気付いて、早速その環境を楽しむ。真っ暗の部屋にスピーカーの灯りが溶けていくのが好き。でもちょっと明るすぎ。
寒さに耐えきれず足の甲を覆う靴が欲しくなったので、今日は街まで見に行った。良いのが見つからないのと自分がグズりだしたのとで、諦めて手ぶらで退散。街は人がガラガラだった。帰りにうつらうつらしていると、明るかった街や話した店員さんが頭の中でぐーっと後ろの方に行って、ふと何してるのだろうと立ち返ってしまう。それから小一時間くらい灰色がギュッと詰まってきて、日が落ちきるまで難儀。
灰色の扱い方がわからなくなってんてん。少し前は灰色に目を凝らしてクマこしらえて考えて、しかしそれに留まるのはナンセンスではないかしらヘイボーイと思っても、じゃあ次の一歩を踏み出そうぜマイガールという姿勢が嫌いで、そういう体のよいワガママに固執している。何色でもいいから色の凝縮に襲われた時にどうすれば良いのか私は話し合いたい。
聴覚の悦びは、何色もの色を伸縮させる。見つけましょうお耳の恋人。
そういう訳で、新年の一曲目は何故かジミヘンだ。昨年最後に聞いた曲ははちみつぱい。と思ったけど、年越す直前に人間の証明を観終えたからジョニー山中のママ〜だ。良い声だ。年末年始に関する事と言えば、そのくらい。あけまおめこよ。
寒さに耐えきれず足の甲を覆う靴が欲しくなったので、今日は街まで見に行った。良いのが見つからないのと自分がグズりだしたのとで、諦めて手ぶらで退散。街は人がガラガラだった。帰りにうつらうつらしていると、明るかった街や話した店員さんが頭の中でぐーっと後ろの方に行って、ふと何してるのだろうと立ち返ってしまう。それから小一時間くらい灰色がギュッと詰まってきて、日が落ちきるまで難儀。
灰色の扱い方がわからなくなってんてん。少し前は灰色に目を凝らしてクマこしらえて考えて、しかしそれに留まるのはナンセンスではないかしらヘイボーイと思っても、じゃあ次の一歩を踏み出そうぜマイガールという姿勢が嫌いで、そういう体のよいワガママに固執している。何色でもいいから色の凝縮に襲われた時にどうすれば良いのか私は話し合いたい。
聴覚の悦びは、何色もの色を伸縮させる。見つけましょうお耳の恋人。
そういう訳で、新年の一曲目は何故かジミヘンだ。昨年最後に聞いた曲ははちみつぱい。と思ったけど、年越す直前に人間の証明を観終えたからジョニー山中のママ〜だ。良い声だ。年末年始に関する事と言えば、そのくらい。あけまおめこよ。
小麦粉と紙
2011.12.25 *Sun
今日をもって、私と自転車の関係がちょうど干支一周した。漕ぐとぎしぎし言うのが好き。
しかし、老いぼれすぎて速く漕げなくなった。
昔は自転車で海までなんて思ったけど、結局行ってないしこの先もこの自転車ではいけない。
なんとなくさみしい。直してやろうか買おうか迷う。
今日はむっくり起きて図書館へ。書庫の背表紙のさまざまを眺めて愉しんだ。
タイトルを見て内容を想像する事とは別に、ずらずら並ぶ本の横を通るだけで、氾濫する物語の多さに胸がむせ返りそう。そういう息苦しさはでも、少し気持ち良かったりもする。
昔好きだったパン屋が移転したということで、帰りに寄る。随分可愛らしげになってたけど、置いているパンは変わってなかった。私の好きなパンは一番人気から三番人気になっていた。
お会計を済ませ、土産が出来たと思い満ちた気持ちで店を出ようとしたら、パンの並べられているバケットに鞄を引っかけ、なんとバケット丸ごとひっくり返してしまった。こんな失態をやらかすとは。床に弾け落ちた七つのパンと、丸めた紙みたくしわしわになった私の心と、底抜けに優しい店員さんと、レジ奥でパンを作られる職人さん方の冷たい眼差し。こういう事態にはめっきり弱くて、時間と手間をかけて作られたパンを一瞬で無碍にしたあの瞬間の残酷さを思うと、今もまだしわしわしてしまう。横暴極まりない。
落としたパン以上の分をまたあそこで買うことにしよう。大きい鞄は持っていかない。
最近は、ときたま野本さん家に行って、この上なくふんだんにお世話になっている。
昨日は御馳走をいただいた。沢山準備をしてくれたのだと思う。美味しくて温かくて、すごくありがたい。なんだかこう、父がいて母がいて、屋根があって柱があって、煮物の匂いがして畳の暖かさがあって、っていう家族のささいなことが全部集まってまあるくほんやりになって。それが見えるお家です。べつに屋根も柱も煮物も畳もとくに何かを主張しているわけではないけれど。喩えね。
色々と、他人の善意や無償の優しさにのさばりすぎていないかな、とふと思う。多分のさばっている。旨いものでも自分でこしらえられるようになって、お返しできるようになれたらな。パン職人さんはそれでは喜ばないな。
カンロ飴と夕暮れ時っていいかもね。双方とも相乗効果で美味しく味わえるかもね。
しかし、老いぼれすぎて速く漕げなくなった。
昔は自転車で海までなんて思ったけど、結局行ってないしこの先もこの自転車ではいけない。
なんとなくさみしい。直してやろうか買おうか迷う。
今日はむっくり起きて図書館へ。書庫の背表紙のさまざまを眺めて愉しんだ。
タイトルを見て内容を想像する事とは別に、ずらずら並ぶ本の横を通るだけで、氾濫する物語の多さに胸がむせ返りそう。そういう息苦しさはでも、少し気持ち良かったりもする。
昔好きだったパン屋が移転したということで、帰りに寄る。随分可愛らしげになってたけど、置いているパンは変わってなかった。私の好きなパンは一番人気から三番人気になっていた。
お会計を済ませ、土産が出来たと思い満ちた気持ちで店を出ようとしたら、パンの並べられているバケットに鞄を引っかけ、なんとバケット丸ごとひっくり返してしまった。こんな失態をやらかすとは。床に弾け落ちた七つのパンと、丸めた紙みたくしわしわになった私の心と、底抜けに優しい店員さんと、レジ奥でパンを作られる職人さん方の冷たい眼差し。こういう事態にはめっきり弱くて、時間と手間をかけて作られたパンを一瞬で無碍にしたあの瞬間の残酷さを思うと、今もまだしわしわしてしまう。横暴極まりない。
落としたパン以上の分をまたあそこで買うことにしよう。大きい鞄は持っていかない。
最近は、ときたま野本さん家に行って、この上なくふんだんにお世話になっている。
昨日は御馳走をいただいた。沢山準備をしてくれたのだと思う。美味しくて温かくて、すごくありがたい。なんだかこう、父がいて母がいて、屋根があって柱があって、煮物の匂いがして畳の暖かさがあって、っていう家族のささいなことが全部集まってまあるくほんやりになって。それが見えるお家です。べつに屋根も柱も煮物も畳もとくに何かを主張しているわけではないけれど。喩えね。
色々と、他人の善意や無償の優しさにのさばりすぎていないかな、とふと思う。多分のさばっている。旨いものでも自分でこしらえられるようになって、お返しできるようになれたらな。パン職人さんはそれでは喜ばないな。
カンロ飴と夕暮れ時っていいかもね。双方とも相乗効果で美味しく味わえるかもね。
音畑と大雨
2011.11.01 *Tue
足の踏み場もないほど咲き乱れた花畑が眼前に広がっていて、ためらわずその中へ歩をひとつ進めると、花弁よりも軽い白の破片がわっと空中に舞い上がる。その破片にくっついてた音たちがさらに高く高く昇っていくと、空から大きなオーケストラが降るんです。耳を襲う、息が止まるほどの圧倒的な存在感。
空気はいよいよ透明のふりが出来なくて、音の為すままに形づけられたり、彩られたり。そうして出来た一瞬のよどみたちを、次々と口から飲み込むんで胸がいっぱいに詰まるんです。
昨日の素晴らしかった白いライトより。
空気はいよいよ透明のふりが出来なくて、音の為すままに形づけられたり、彩られたり。そうして出来た一瞬のよどみたちを、次々と口から飲み込むんで胸がいっぱいに詰まるんです。
昨日の素晴らしかった白いライトより。



